スノーボードクロスでオリンピックを目指す岩垂かれん(20歳)の母、深雪さん。
清楚な雰囲気でありながらウインドサーフィンやスキーなどアクティブなことも大好きだった彼女。
娘が小学生の頃から日本各地のゲレンデへ連れて行き、海外遠征にも同行してきた。
思春期の娘の様々な葛藤を包み込みながら現在まで導いた母の想い、そして陰の努力とは。
"できないのが悔しくて、目に涙をためながら滑っていた "
Q.東京で育てている娘がスノーボードにのめり込んだ理由は?
スキーを始めたのは小学校1年生位の時です。
とりあえず用具の運搬、着脱が一人でできるようになってからというのが両親の考えでした。
それができないと、両者ともスポーツを楽しむ前に疲れてしまうじゃないですか。
みんなでスノーボードをやってみようということになったのは、かれんが小学校4年生の時でした。
初めは親子3人でレンタルをして『できるでしょ!』と、いきなりリフトで一番上まで行ってしまいました。
歩いたりお尻で滑ったりして下まで降りるのに2時間位かかりましたね。
これじゃダメってことになって、午後からスクール。
皆全くできませんでした。
3回目に行く頃には、誕生日とクリスマスプレゼントで手に入れたマイボードを持っていました。
セットで¥9800のやつです。
娘はなかなかターンができず、できないのが悔しくて、目に涙をためながら滑っていたのを覚えています。
負けん気だけは昔から凄く強かったです。
シーズンが終わり、スノーボード雑誌で海外のキャンプ情報を見つけ『海外にスノーボードをしに行ってみよう』ということになりました。
スイスは私と二人で、ニュージーランドには親子3人で参加しました。
娘と二人での海外はとても新鮮でした。
海外でのいろいろな人との出会いが、娘のスノーボード人生に大きく関わることになりました。
当時コーチだったのが西田たかしくんやゴッチなど。
布施忠くんにマンツーマンでフリーランをみてもらいました。
そのキャンプコーディネーターのスノーバム小畑さんから浅貝ゲレンデを紹介してもらい、その後のホームゲレンデになりました。
そしてニュージーランドでユキエちゃんに声をかけてもらって、初めてフィルムに出していただいたのが6年生の時です。(LIL RUBY MAGIC 2005年)
その年の冬から、毎年カナダウィスラーへ。
初ウィスラーでは、ボンちゃん(大木絵里)たちに本当にお世話になりました。
ろくに滑れない子と毎日あの広大なゲレンデで付き合ってくれたんですもの。
当時ウィスラーにいけば、ユキエちゃんはじめリルの誰かが、必ずと言ってよい程いましたよね。
この大きな山でのフリーランが、いまの彼女の競技に役立っているのは、まず間違いありません。
リルの皆さんが、フリーランの楽しさを教えてくれました。
Q.娘とスノーボードを持って国内海外あちこち。嬉しかったこと、楽しかったこと、そして大変だったことは?
その場所場所でいろいろなことがありましたが、今では全てが良い思い出です。
嬉しかったこと、これは毎度『ただいまー』と滑って帰って来たときの『楽しかった!』という笑顔ですね。
大会に出るようになってからは、好成績を残したときはやはり嬉しいです。
楽しかったこと、これは付き添いという大義名分で、いろいろな場所に行くことができたこと。
大変だったこと、たいていは家族で行動していましたが、長期の海外となると私が連れていっていたので、飛行機が出ない、長距離バスがこない、レンタカーがパンクなどなど。
小さなハプニングはだいたい経験しましたが、楽しかった思い出につながりますね。
今思うと、大変だったことはあまりありません。
しいて言うなら娘が大会にでるようになったある時期、3ヶ月で3万キロ位走行していたことくらいです。
高校3年の冬に運転免許を取って以来、ほとんど雪山にはいかなくなりました。
そのシーズンは3回位、昨シーズンなんて1回だけです。
だって、免許を取ったその日に東京から、長野の白馬まで運転して行ってしまった んですから。笑
『一人でできるようになってしまったんだ』という寂しい気持ちもありますが、今はそれ以上に嬉しい気持ちの方が上回っている、というのが正直な気持ちです。
Q.娘がここまでになると想像していましたか?
うーん、どうでしょう。
子供が上達すれば、おのずと親のモチベーションは上がってきます。
スノーボードを始めてすぐ位の時、作文で将来はプロになると書いていました。
子供のころのかれんは、シャイで私の後ろに隠れているような子、というイメージが皆の中にあるようなのですが。
親から見ると、人見知りするタイプではありますが決してシャイではないです。
一人っ子で小さい時から大人に囲まれて育った子は、自分を前面に出して主張する子とそうでない子にわかれると思います。
うちの娘は後者の方に育ちました。
ただ、自分がとても強い子です。
自分がやりたいと思ったことは、周りがなんと言おうと必ず実行します。
そのことに気がついてからは、『とりあえずやってみて、自分で決めなさい』という言葉が両親の口から出るようになりました。
親からみれば『それは無駄だし失敗する』とわかっている事でもです。
自分の考えを行動に移すことで、その結果がどのようなものであっても、それを受け入れられるようになったようです。
中学、高校、そして大学もスノーボードをするために自分で選んだのですが、やはり何度か競技としてのスノーボードを続けるか悩んだ時期がありました。
だって今どきの子ですもの。
やりたいことばかりです。
その度に何度も話し合い、娘のしたいようにすれば良いと言ってきました。
でも、親としての本心はここまでやったのだから続けとほしいという思いで話しを持っていってましたが。笑
昨年あたりからでしょうか。
スノーボードクロスに必要不可欠な身体を作るため、週5日程トレーニングを始め、体重も一年強で8~9キロ増やしました。
この間、何度も葛藤がありました。
身体ができていくのが嬉しい半面、20才の女の子です。
外見的にも皆に『デカクなった!』と言われ、流行りの服もなかなか入らなくなってしまいました。
スノーボードを取るか、女子を取るかみたいになって、親としてもかわいそうだなと思いました。
でも、言うのはいつもの言葉。『自分で決めなさい』。
結果、今はスノーボードを取ったということでしょうか。
Q. 最後に、子供にスノーボードをさせたい母たちに、なにかアドバイスや一言あればお願いします。
まだ子育て中の私は、何が良くて何がいけないのかわかりません。
偉そうなことを 言ってしまいますが、親はいつまでも子供を育てていくものだと思っています。
その上で一言となると。『とにかく親子で楽しんじゃってください』それが一番だと思います。
スノーボードに限らず、子供の興味のあるものは、家庭で許す範囲で何でもトライさせてあげてほしいです。
子供は、自然と自分で取捨選択していけるはずです。
娘もいろいろなスポーツをやっていましたが、特に長く続いた陸上競技と水泳は今の競技に役立っているはずです。
スノーボードをしている家族って、皆仲が良いと感じませんか。
実際思春期を過ぎても、男の子は母親と女の子は父親と仲が良いと思います。
スノーボードに一人では行かれないし、ウィンタースポーツは、家族行事的なものになるからだと思います。
素敵なことですよね。
岩垂深雪(いわだれ みゆき)(49歳 長女20歳)